笑いながら、とんでもないことを口にしたのは取引先の新任部長、橋田だった。
「値引きできないなら契約切るわ。町工場ふぜいが」
応接室の空気が凍る。叔父が二代目として守ってきた小さな工場を、彼は外観だけで見下し、礼儀もなく踏みにじった。
俺の名は名取、三十三歳。小四のとき両親を事故で失い、独身の伯父に引き取られた。泣きそうな顔を隠して笑ってくれた伯父を見て、この人なら生きていけると確信した。伯父は家族として優しいが、工場では厳しい経営者だ。俺は三代目を目指して現場で修行を積んできた。
うちが卸しているのは、ただのモーターではない。伯父が発明し特許を取った特殊モーターで、取引先のバイクメーカーは全国十二工場すべてでこれを使っている。さらに事情がある。前社長が存命のころ、伯父は「知人のよしみ」で特許使用料を五年間、ゼロにしていた。
だがその事実を知るのは、もうこの世にいない前社長と伯父だけだった。
新体制になり、窓口が橋田に変わった途端、話は崩れた。会議では三割引きを要求し、工場の敷地まで押しかけては嘲笑する。
「値引きが無理なら継続契約なし。底辺でも分かるだろ」
その言葉を聞いた瞬間、俺の中で何かが切れた。丁寧に頭を下げ続ける義理は、もうない。
「値引きには応じません。契約は終了です」
橋田は目を丸くし、すぐに怒りへ転じた。
「後悔することになるぞ」
俺は淡々と返した。
「後悔するなよ?」
そして、その場で特許モーターの使用許諾を停止する旨を正式通知した。伯父も迷いはなかった。あの態度に、我慢の限界を超えていたのだ。
翌日、全国の工場が全滅した。
ラインが止まり、検査工程が詰まり、出荷が一斉に遅延した。代替モーターでは制御が合わず、現場は再起動すらできない。特許技術の要が欠ければ、動くはずがない。ニュースにはならなくても、業界は騒然とした。
昼前、電話が鳴り続けた。鬼電の主は橋田ではない。顔面蒼白の足立社長だ。
「名取さん、お願いです。使用停止を撤回していただけませんか」
その背後で、橋田の嗚咽混じりの声が漏れる。昨日まで嘲っていた男が、今は言葉にならない悲鳴を上げていた。
応接室で改めて対面すると、足立社長は深く頭を下げた。橋田も遅れて頭を下げたが、視線は泳ぎ、唇は震えている。
俺は条件を告げた。第一に、使用許諾の再契約。第二に、特許使用料の正規支払い。第三に、担当者の即時更迭。
足立社長は必死にうなずいた。橋田は反論しかけたが、社長の一喝で黙った。
そこで伯父が静かに追い打ちをかける。
「そもそも、五年間タダだったのは前社長との約束だ。あなた方は、その恩恵の上で利益を出していた」
足立社長の顔色が変わった。社内の誰も知らなかったのだろう。橋田は、無知のまま値切りを叫び、虎の尾を踏んだ。
さらに俺は、橋田の別件も提示した。工場事務の市井が、過去に受けたストーカー被害。その犯人の特徴が、橋田と一致していた。市井が残していた画像データは決定的だった。
足立社長は即断した。橋田は降格のうえ僻地へ左遷。会社の再建に「敬意を欠く者」と「卑劣な者」は不要だと切り捨てた。
こうして全国十二工場は、停止から復旧へ動き出した。だが代償は大きい。失った稼働時間、信用、そして橋田の地位と家庭。
俺はいつも通り、油の匂いのする現場に立つ。町工場は小さい。だが、技術と約束は、規模では測れない。見下した者ほど、その事実に遅れて気づく。
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